1.津波に遭遇したダイバーたち  事例集 part-1 
  (タイ編)
2.海中で地震の音を聞いたダイバー 事例集 part-2
  (インドネシア・アチェ州編)

3.タイ・カオラック 写真館



写真 : ピピ島
(亡くなられた方々のご冥福と、被災地の一日も早い復興をお祈りいたします。)

1.津波に遭遇したダイバーたち  事例集 part-1

 
2004年12月26日(日)、現地時間午前7時58分(日本時間26日午前9時58分)ごろ、スマトラ島北部バンダ・アチェ市の南南東沖合250キロメートルの海底でマグニチュード9.0という、観測史上4番目の巨大地震が発生した。

この地震による津波のため、インド洋沿岸のインドネシア・スマトラ島北部、スリランカ、インド南部、タイ、モルディブをはじめ、アフリカ東部にまで被害が及び、2005年1月10日現在で15万人以上の死亡が確認される大惨事となった。

被害の出た地域にはタイやモルディブなど人気のあるリゾート地が含まれており、津波が押し寄せてきたときに、ちょうどダイビングを楽しんでいた人も多かった。

このページでは、実際に水中で津波に遭遇したダイバーたちの体験談を、ニュース記事などから集めてみた。
 
 
 


(1)ルーク・ワトソン氏 30歳 男性 イギリス人 ピピ島在住
   フリーランスで水中ビデオを撮影

   遭遇海域:ピピ島

ルーク・ワトソン氏はダイバーの水中ビデオを撮影する仕事をしていた。当日もピピ・レ島沖のポイントでスウェーデン人、フランス人、イギリス人などのグループと潜水。45分間のダイビングの後、水深12mの浅場まで戻ってきたとき、最初の津波がやってきた。午前10時30分頃だった。

「潮流があることも珍しくはないけれど、あんな流れの経験はなかった。流れが突然やってきたんだ。岩にしがみついたけど、足が流されて宙に浮いた。凄い流れだった。ダイバーたちを押し流したと思うと、流れの方向が変わり、今度は反対方向にダイバーたちを引き戻した。普通じゃありえないことだ。」

ようやく流れがおさまったので、ワトソン氏が水面に浮上すると、船の上で待っていたインストラクターが叫んだ。「急いで船にあがれ!」  船の上からリゾートが集まっているトンサイベイ地区の方をみると、まるで海水が沸騰しているかのように見えた。異変に気がついた船長は、トンサイベイには戻らずに、しばらく海上から様子をうかがっていた。

「結局、最後にはトンサイベイに戻ったんだけど、まったく見たこともないような光景だったよ。恐ろしかった。ゴミが湾内じゅうに浮かんでいて、その間をよけて船を進めなければならなかった。テレビや冷蔵庫、イス、マネキン人形。ロングテールボートが湾外に出ていくのとすれ違ったけど、舷側にはタイ人の死体がくくりつけてあった」

「ビーチにはバンガローが何軒も沈んでいたし、家の屋根にはスピードボートが突き刺さっていた。船から下りて陸上を歩いたけど、もう耐えられなかった。道にはタイ人の死体が一つ横たえられていた。布で覆ってあった。船で一緒だったダイバーたちは泣き出してしまった。西洋人の死体は先に片づけられていたけど、タイ人の死体はたくさん残っていて、木や鉄板で覆ってあったんだ」
 

Diver clung to rocks as deadly waves swept towards shore
Yorkshire Post Today, UK - 4 Jan 2005
http://www.yorkshiretoday.co.uk/ViewArticle2.aspx?SectionID=55&ArticleID=913651
 
 


(2)リー・クレイディーさん 21歳 女性 アメリカ人 カリフォルニア州在住 学生

   遭遇海域 : ピピ島

クレイディーさんはピピ島でダイビングの講習を受けていた。津波に遭遇したのは、最後の海洋実習(4本目)のときだった。当初、水が怖くてダイビングをいやがっていたクレイディーさんも、このころにはかなり水に慣れてきていた。

ボートダイブで潜水地点はピピ島から約30分の場所だった。午前10時6分に潜水開始。
インストラクターとクレイディーさんの他、二人の女性が一緒だった。スキルの練習を開始した。海の中の様子が少しおかしいと感じられた。何匹かの魚は、ダイバーから逃げずに、むしろ体の下に群れ集まってきた。隠れる場所を探しているかのようだった。

突然、クレイディーさんは圧力を感じた。すべてが押し流され始めた。クレイディーさんら三人の講習生は必死につかまりあった。インストラクターはクレイディーさんたち三人をつかまえようとした。しかし、強力な流れが彼女を吹き飛ばした。13mほども深みに吸い込まれたかと思うと、次には浅場に吹き上げられた。クレイディーさんの体の自由はまったく奪われ、水平感覚も失ってしまった。透明だったまわりの海水も、砂が巻き上げられ濁ってしまった。それでもクレイディーさんはパニックを起こさなかった。ダイビングの経験がほとんどないクレイディーさんには、これが異常な事態であることがわからなかったのだ。

結局、講習生の一人はサンゴの塊に押しつけられて動けなくなってしまったが、別のインストラクターが助けてくれた。

ようやく浮上したときには、水面はまったく静かで何の異常もなく感じられた。インストラクターがクレイディーさんに、さっきの流れは普通じゃなかった、と告げた。

クレイディーさんたち無事に船に拾い上げられたが、ピピ島に帰ることはできなかった。夜になってから、ピピ島の近くまで近づいては見たが、とても接岸できるような状況ではなかった。ホテルも津波に襲われて荷物はみな流されているようだったし、また津波がやってくる不安もあった。

結局、夜になってから、船長がクレイディーさんたちを津波の被害を受けなかった島に連れて行ってくれた。その島の人口はせいぜい20人ぐらいらしかったが、親切にクレイディーさんたちに食べ物を与え、寝る場所を提供してくれた。

翌朝、島民が持っていた携帯電話を貸してもらって、回線状態は悪かったが、アメリカの家族と連絡を取ることができたという。

その日のうちに、船長はクレイディーさんたちをクラビの町まで連れて行ってくれた。クレイディーさんたちはタクシーでプーケット市内の津波緊急センターまで移動。そこからはタイ政府の手でバンコクまで移送された。バンコクでパスポートを再発行するのに3日間かかった。

UC Berkeley senior Lea Kreidie tells how she survived the tsunami
UC Berkeley News  - 5 January 2005
http://www.berkeley.edu/news/media/ releases/2005/01/05_kreidie.shtml

Paradise then terror for open water scuba diving student in Thailand
CYBER DIVER News Network - 29 Dec 2004 
http://www.cdnn.info/industry/i041229d/i041229d.html
 
 


(3)フェイ・ワックスさん 34歳 女性 アメリカ人 社会学教授

   遭遇海域 : ピピ島

ワックスさんは夫と一緒にピピ島周辺ででダイビングをしていた。水深は約35mだったが、透明度が悪くなり、下に吸い込まれるような強い流れを感じた。ダイブマスターが浮上するようにと合図をした。浮上してからも、すぐには何が起きていたのかわからなかった。

たくさんの物が浮いているのが見えた。ダイブマスターが言った。「こんなにゴミを投げ捨てるなんて、ひどいなあ」。
船にあがると、もっと大きな漂流物が見えた。事故を起こしたボートでもあったのだろうか、と思った。やがて、彼女たちは陸上からの連絡で何が起きたかを知らされた。やがて複数の死体も流されてきた。タイ人のものも外国人のものもあった。ピピ島に戻ると、彼女たちが泊まっていたホテルもほとんど流されていて、荷物はすべて失ってしまっていた。

American diver underwater during catastrophe
CNN - December 29, 2004 Posted: 7:12 AM EST (1212 GMT)
http://www.cnn.com/2004/US/12/28/tsunami.diver/

American scuba diver underwater when tsunami hit Phuket
CYBER DIVER News Network - 28 Dec 2004
http://www.cdnn.info/industry/i041228h/i041228h.html

Tales of Tsunami Survival
The New York Times on the web - 02 January 2005
https://my.avantgo.com/preview/ preview_content.html?cha_id=2741
 
 


(4)ステファニー・アダムさん 女性 フランス人 上海在住

   遭遇海域 : ピピ島

ステファニーさんはドイツ人の恋人と一緒にピピ島周辺でダイビングをしていた。水深は18m以上だった。突然、透明度が悪くなり、何も見えなくなってしまった。ステファニーさんのグループも次々とはぐれていき、彼女は一人でゆっくりと浮上しなければならなかった。

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(筆者注)この記事によれば、ドイツ人の恋人は行方不明になってしまったようだが、その後発見されたかどうかは未確認。
 

Surviving the tsunami and the aftermath
Scripps Howard News Service - December 29, 2004
http://www.knoxstudio.com/shns/story.cfm?pk=QUAKE-AFTERMATH-12-29-04&cat=II
 
 


(5)エイミー・ハーディングさん 24歳 女性 イギリス人 ピピ島在住 
   インストラクター

   遭遇海域 : ピピ島

ピピ島で講習をしていたときに津波に襲われた。講習生たちと共に陸に押し流され、ホテルの屋根の上に打ち上げられて全員助かった。

全員、一緒に同じホテルの屋根の上に打ち上げられたという。

講習生の一人、イギリス人のアン・デブリンさんの話によれば、みな手足は傷だらけだったというから、おそらく半袖半ズボンのウェットスーツを着用していたと思われる。
 

The day that shook the earth
news.telegraph - 02/01/2005
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2005/01/02/wtsun02.xml&sSheet=/portal/2005/01/02/ixportaltop.html

The wave that shook the world
The Independent online edition - 02 January 2005
http://news.independent.co.uk/world/environment/story.jsp?story=597257
 
 


(6)ラシュディ・イスマイル氏 マレーシア人 ダイブマスター
   
   遭遇海域 : ピピ島 
 

マレーシア、ケランタン州出身のイスマイルさんがピピ島に来てから10週間がたっていた。その日、イスマイルさんは4人のダイバーとピピ島近くのビダ・ノクというポイントで潜っていた。

「10時27分でした。潜水してから29分が経過していました。私たちは強力な渦に巻き込まれてしまいました。洗濯機の中にいるみたいでした」

「幸い、私はそこの地形に詳しかったので、どうやって強い流れから逃れればいいのかわかっていました」

すぐにイスマイルさんは一緒に潜っていたダイバーたちを岩のかげに誘導して、流れを避けさせた。無事に浮上したときには、海はいままでになく静かだったと、イスマイルさんは言う。

だが、イスマイルさんが利用していた船の船長は、なぜかピピ島に戻るのをいやがったので、イスマイルさんたちは長い間、海の上で漂っていなければならなかった。ようやく船長にピピ島に戻ってもらったのは、もう午後7時頃だった。イスマイルさんたちは、午前中に津波がピピ島を襲っていたことを知らなかった。

「船着き場まで戻る途中に、人間の体が3体浮いているのを見ました。ショックでした。ほとんどの建物が倒壊していました」

イスマイルさんによると、無事だった人々がケガを負った人々を助け、海岸から1kmの岡の上まで連れて行ったという。

「初日には当局の救援はまったくありませんでした。私たちは間に合わせの担架をこしらえ、傷口にはベッドのシートを包帯代わりに巻きつけました」

「生存者を捜す間に、100体の遺体を片づけました」

Experience saved master diver from killer waves
The Star Online - Friday December 31, 2004
http://thestar.com.my/news/archives/story.asp?ppath=%5C2004%5C12%5C31&file=/2004/12/31/nation/9785000&sec=nation
 
 


(7)ベッキー・ラルフさん 25歳 女性 美術学校生  
 
   遭遇海域 : おそらくピピ島か、そうでなければタイのどこかであると思われる。

ラルフさんは潜水中に津波に襲われた。

「振動を感じたかと思ったら、グワッときた。水面まで吹き上げられて、また水の中に引き込まれて、今度はぐるぐる回りだした。洗濯機の中に入れられたみたいだった。パワー最大でぐるぐる回された。水を飲んじゃったけど、生き残ろうと必死だった。でも、どうにもならなくて、このまま溺れるのかなと思った。」

「2,3秒ぐらいで回転が止まった。泳ごうとしたけど、ダメだった。ただ流されていくだけだった。上の方を何か流されていくかと思ったら、2艘の船だった。人間も2人、流されていくのが見えた。一人が男で、一人は女だった。男の人は頭から血が流れていて、目は閉じていた。彼の方に手をのばしてみたけど、彼は流されて消えてしまった。」

「タンクもはずれてしまったので、なんとか水面に戻って、呼吸しようと必死でもがいた。心臓がどきどきいってた。突然、流れがゆるくなって、海岸まで泳いでいくことができた。私の耳からは血が流れていた」

The wave that shook the world
The Independent online edition - 02 January 2005
http://news.independent.co.uk/world/environment/story.jsp?story=597257
 
 


(8)ジェイソン・ヘラー氏 30歳 男性 アメリカ在住 会社社長

   遭遇海域 : シミラン諸島

へラー氏は水中写真が趣味で、津波に遭遇したときにも二つの水中カメラを持って水中に入っていた。カメラはストラップで体に掛けてあった。水深は30mだったが、それでも深みに引き込まれるような流れを感じた。

「とても泳ぐことはできなかったので、岩をつかんで進んでいくしかなった」

流れが治まるまでしばらく岩につかまっていたへラーさんは、結局30分後に水面に浮上したが、海は奇妙に荒れていたという。

へラーさんのダイブクルーズ船は、他のダイブクルーズ船から救援要請を受けた。その船は波で岩に叩きつけられてしまい、乗客が救命イカダで避難していたのだ。幸い、へラーさんの船が現場に着いたときには、乗客はすでに他船に救助されていた。

A diver's account from the sea
Newsday.com - Saturday, January 8, 2005
http://www.newsday.com/news/nationworld/world/ny-wothai1231,0,3057447.story?coll=ny-top-span-headlines
 
 


(9)ロブ・ファン・カッペラン  男性 オランダ人 インストラクター

   遭遇海域 : シミラン諸島

ファン・カッペランさんはダイビングクルーズ船のスクーバ・キャット号に乗船していた。

ファン・カッペランさん自身は水中にいなかったが、彼が無線で聞いたところによれば、あるダイバーのグループは水深27mで潜水中に津波に遭い、ものの数秒間の間に水深3mまで吹き上げられたかと思ったら、また水深18mまで引き戻されたそうだ。ダイバーは水中で与圧されたタンクの空気を呼吸しているため、このように水深が急激に変化すると肺が破裂したり、鼓膜が破れてしまう危険がある。幸い、このダイバーたちは無事であったという。

Surviving the tsunami and the aftermath
Scripps Howard News Service - December 29, 2004
http://www.knoxstudio.com/shns/story.cfm?pk=QUAKE-AFTERMATH-12-29-04&cat=II
 
 


(10)ミッチさん 女性 カナダ人

遭遇海域 : スリン島

スリン島周辺でバンコク大学の調査チームと共に潜水中に津波に遭遇した。最初は衝撃波を感じた。次にきちがいじみた流れに吹き飛ばされた。サンゴにつかまろうとしたが、サンゴは力に負けて折れてしまった。流されていったところにブイから延びているロープがあったので、そのロープをつかんで浮上することができた。

Surviving the tsunami in Ko Surin
CNN - Thursday, December 30, 2004 Posted: 10:48 AM EST (1548 GMT)
http://edition.cnn.com/2004/WORLD/asiapcf/12/30/kosurin.eyewitness/
 
 


(11)アドリアン・ケイ氏 29歳 男性 イギリス人 インストラクター

    遭遇海域 : リチェリューロック
 

ケイ氏は14人のダイバーと共にスリン島から数十キロ離れたリチェルーロックで潜水していた。リチェルーロックはジンベエザメなどの大物を見られる確率も高い、人気のダイブスポットだ。

14人のダイバーには強度難聴者が3名と下半身以下付随の人が1名含まれていた。ケイ氏はダイバーたちを水中ビデオで撮影していた。

「生涯でいちばん恐ろしい体験だった。水に入ってからしばらく経過していたが、津波がくるまではなにもかも完璧だった。だが、魚が突然狂ったようになった。津波がくるのを感じとったんだろう。あらゆる方向に泳いでいった。」

「突然、透明度がひどく悪くなった。津波が来たんだ。水の中はまるで洗濯機みたいになった。私たちは激しく流され、まわりは真っ暗になった。何がなんだかわけが分からなかった。わかったのは、岩をつかまなければ、私たちは流されてはぐれてしまうってことだけだった。」

「だが、ダイバーたちの手がズタズタに切られてしまい、岩から引きはがされだした。こうなったら互いにつかまりあって、はぐれないようにするしかなかった。そうやって、どうにか助かったんだ」

「岩から離れないようにしたかったけど、吹き飛ばされて別の岩に叩きつけられた。また、水面に向かって吹き上げられもした。ダイビング中には非常に危険なことだ。まったく恐ろしいことだった」

「私は他のダイバーを捜すために、岩を這って降りた。ナオミが見つかった。彼女は重度聴覚障害者だ。下半身以下不随の男も見つけられた。一緒に岩を這い昇ろうとしたが、ダメだった。そこで、お互いにつかまりあって、はぐれぬよう努力した。最後にはなんとか浮上して、船に戻ることができた。全員が船に戻ることができたんだ」
 
 

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(筆者注)文中のナオミさんは、ユダヤ系イギリス人のナオミ・ハイムさん。26歳。海洋生物学者。ダイブマスターでもあり、得意の読唇術と手話を生かして聴覚障害者のダイビング講習を助けている。
 
 

Eye witness reports: Scuba divers clung to rocks as 'the sea turned into a washing machine'
The Independent online edition - 29 December 2004
http://news.independent.co.uk/world/asia/story.jsp?story=596627
 

Tsunami survivor describes underwater horror
Haaretz.com - December 27, 2004
http://www.haaretz.com/hasen/spages/519302.html
 
 
 
 
 


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