1.津波に遭遇したダイバーたち 事例集 part-1
(タイ編)
2.海中で地震の音を聞いたダイバー 事例集 part-2
(インドネシア・アチェ州編)
スマトラ沖地震による津波で大被害を受けたバンダアチェから約33kmの地点にウェ島(Pulau Weh)というところがある。この島でシンガポール在住の日本人タダ・アキコさんがダイビングをしていたときに、海中で地震の音らしい轟音を聞いたそうである。
資料的な価値もあると思われるので、この記事はあえて全訳することにした。
ウェ島はスマトラ島の北にあり、中心の町サバンの人口が2万6千人。アチェ州の紛争のため、日本からウェ島を訪れるダイバーは多くない。
全訳:海中で地震の音を聞いたダイバー
(タダ・アキコ)
いつもと同じように穏やかな朝で、その日もまた素晴らしい天気になりそうでした。私たちはウェ島のガパンビーチから早朝ダイビングに出発しました。ウェ島はアチェ州の北西部にあり、ダイビングで有名です。私たち、イギリス人男性が2人とフランス人女性と私で計4人(訳注1)、は7時には海の中に潜っていました。また昨日のように、透明な水の中で素晴らしい水中生物を見たいという希望を胸に。
私たちが知らない間に、スマトラ島沖の海底では二つの地殻プレートが衝突していました。そこが12月26日に南アジア中で数万人の死者を出した(訳注2)津波を引き起こした海底大地震の震源でした。
私たちは大きな船のエンジンがゴロゴロとうなるような大きな音を聞きました。轟音はしばらく続きました。すでにダイビングも終わりに近いときで、私たちは水深5mから10mぐらいの浅場にいました。私たちは顔を見合わせました。このあたりでは大きな船の音を聞くことなどまずないからです。そこで私は、これは海底地震ではないかと気付きました。(訳注3)
潮流もふだんより多少強かったのですが、それより異常だったのが魚の行動でした。大きな魚までサンゴの間に隠れてしまい、いつもは穴の中に隠れているウツボたちがみな飛び出して来ました。
船でガパンビーチに戻るときに、私たちは何か悪いことが起こっていることに気がつきました。
私たちはみな海面を観察し、みながこれは非常におかしいと言いました。海面のある部分はまったく静かで、何の動きもなく、鏡のように静かでした。しかし、海面の別の部分は渦を巻いているのです。まるで洗濯機のようで、また別の部分では逆流するような複雑な潮が流れていたのです。
ガパンビーチに近づいてみると、海沿いのコテージはすべてこなごなになっているのが見えました。私たちは船の上から巨大な波が高さを増し、海岸に襲いかかり、建物を破壊し、残骸を木の上に打ち上げ、海の中に引き込んでいるところを見ました。
あとでダイビングショップに戻ると、二階のバスルームにラビットフィッシュ(訳注4)がいるのをみつけたのです!
船の上では津波は感じられず、いつもどおり波にゆられただけでした。しかし、波が静まって、上陸できたのは1時間近くも過ぎた後でした。ガパンビーチは津波に流されていました。幸い、ガパンビーチでは怪我人はでませんでした(訳注5)。
旅行客と地元民のほとんどは海の水が2m(訳注6)も引いたときに、津波が来ることを悟り、リゾートが建っている岡の上まで走ったのです。
私の知る限りマレーシア人では、名前はハンとアンジーとしか思い出せないのですが、クアラルンプールからたカップルと、アグネスとハミッドというプルフンティアン島から来たカップルは無事です(訳注7)。
その晩はずっと余震が続きました。私たちには、いつ次の余震が来るのかわかりました。というのも、余震が来る直前に犬たちが吠え出すからなのです。まるで小さな火山が噴火しているかのように感じられましたが、日本人のダイビング・インストラクターによると、これらの余震はおろか津波を生じさせた最大の揺れも、日本の基準ではそれほどひどくないそうでした。
翌日、私たちのうち6人は、予約を入れていた飛行機をつかまえるために、フェリー港で漁船を雇って、バンダアチェに向かうことに決めました。アチェ州の州都バンダアチェの惨状については何も知らなかったのです。
私たちはバンダアチェが受けた被害の程をまのあたりにしました。いたるところに、豚、冷蔵庫、それに多数の人間の死体などが浮いていました。街は泥に覆われていました。建物は粉砕されていました。そして更に無数の死体が横たわり、腐敗し始めていました。
私たちは軍警察が大きな穴を掘っているのを見ました。たぶん死体を埋めるためでしょう。私たちはがれきの中を歩いて空港に向かいました。
幸運なことに、空港はまだ開いていて、すでに午後5時を過ぎていたにもかかわらず、私たちが予約していた午後2時発メダン行きの飛行機もまだそこにいました。
シンガポールに戻ってきてから、ようやく私たちの逃避行は危機一髪のものであったことに気がついたのでした。
#タダ・アキコさんは秘書であるとともに、熱心なスクーバダイバーである。26日の地震をウェ島で体験した。タダさんは無事にシンガポールに戻り、日系の多国籍企業で働いている。
Diver saw tsunami forming underwater
By Akiko Tada
The Star Online - December 29, 2004
http://202.186.86.35/news/story.asp?file=/2004/12/29/nation/9766851&sec=nation
(訳注1) タダ・アキコさん本人によれば、この部分は、タダ・アキコさんの談話を基に記事を書いた記者の勘違い。一緒に潜ったのは、「マレーシアからの2人と現地人ガイドと私の4人」、だったそうである。(訳注2) ロイター通信によると、この津波による全世界での死者数は2005年1月19日現在22万6566人、被災地域からの死亡報告は続いているため、死者数は更に増えるとしている。
(訳注3) 資料3によると、当日ダイビングをしていたマレーシア人のモハマド・ハネイ・アブドゥル・ムニール氏も海中で「強い震動を感じた。巨大な船が海上を通り過ぎてるようだった」と証言している。また、この男性は船に上がってから、日本人のタダ・アキコさんが、あの音は海底地震かもしれず津波が陸を襲う危険があるので、陸に戻らずに船の上にいるよう進言したと証言している。
(訳注4) ラビットフィッシュはアイゴの仲間。ルンバルンバ・ダイビングセンターのホームページ(資料5)によると、ダイブショップは柱はあるが壁が少ない構造だったため、津波が通り抜けていき、主な部分は流されずに残ったそうである。
(訳注5) ルンバルンバ・ダイビングセンターのホームページ(資料5)によれば、ガパンビーチ、イボイビーチ、イボイ村での死者は0名。ウェ島全体でも死者は12名だけだったそうである。(資料6)によれば、ウェ島の死者数は少なくとも12名、行方不明34名、重傷者6名、被害総額950万米ドル。近隣のバンダアチェが大惨事に見舞われたのに比すれば、ウェ島の被害は遙かに少なかった。
(訳注6) 原文のママ。2mではあまりに少なすぎるので、原文の間違いであると思われる。あるいは水深にして2m引いたと言いたかったのか。
(訳注7) マレーシアの新聞の記事なので、マレーシア人の安否情報が書いてある。タダ・アキコさん本人によると、記事はプルフンティアン島の2人の名前も間違えて書いてあるそうである。
資料1
Divers at epicentre of killer quake tell of epic journey to safety (AFP)
Khaleej Times Online - 29 December 2004
http://www.khaleejtimes.com/DisplayArticle.asp?xfile=data/theworld/2004/December/theworld_December739.xml§ion=theworld資料2
Tsunami survivor bids to restore island's fortunes
Islington Gazette, UK - 12 Jan 2005
http://www.islingtongazette.com/content/islington/gazette/news/story.aspx?brand=ISLGOnline&category=news&tBrand=northlondon24&tCategory=newsislg&itemid=WeED12%20Jan%202005%2013%3A11%3A07%3A083資料3
Divers describe tsunami experience
Divernet News - 4 January 2005
http://www.divernet.com/news/stories/tsunami040105.shtml資料4
Diver: I heard rumbling sounds in the water
The Malaysia Star Online, Malaysia - 3 Jan 2005
http://thestar.com.my/news/story.asp?file=/2005/1/4/nation/9800627&sec=nation資料5
Lumba Lumba Diving Centre, Pulau Weh, Sumatra
http://www.lumbalumba.de/資料6
Sabang people rise from devastation
The Jakarta Post - 17 Jan 05
http://www.rubiah.com/html/jakarta_post_17_jan_05.html